犬が飼い主の足元で寝るのは、
大事な人を守るため
の有事に備えた行動なのだと言います。
『愛』に溢れています。
むしろ、この小さな命は『愛』しか持っていません。
人はどうなのだろうと考えます。
その行動は『愛』なのか、
それとも只の『欲』なのか。
人は、自身の行動の言い訳や自己弁護がとても上手な生き物です。
ある人はそれを『悪知恵』と言うけれど、そんな知恵を与えられて生まれてくる生き物なんて、果たしてこの世に存在するんだろうかと、ふと思ったりする今日この頃です。
さて、
いま巷ではコロナ禍生活を評して『勝つ』とか『負けない』とか、
対峙する表現
がよくされていて、それは社会生活を送る上でも身を置く場所が恰も戦場であるかのように例えられるのと等しくて、目の前の現象は一緒なのに捉え方によってまるで別世界のように人によって表現が変わります。
状況の変化が手にしたモノを奪っていくような恐怖心を煽るのか。
奪われる前に何か行動を起こさなければならないような衝動に駆られるのか。
内側にあるものは誰も奪っていかないし、他から補うモノでも無いし・・・。
足りていないと思うから益々不満が募って、身を翻してあるモノに感謝出来れば、『愛』は満たされます。
先日、写真の仕事でクライアントさんと打ち合わせをしていて、

と悩むクライアントさんの田んぼに連れて行って貰って、
背後には広大な高原が広がっていて(°▽°)
青々とした稲穂が天に向かってスクスク伸びていて(^-^)

と思わず呟いてしまいました^^
内側は見えない
から、目に見える物体や体感する現象に『不安』や『不満』や『枯渇』を抱いて、無性に焦りを感じたりします。
人によっては他の誰かから大切な何かを奪ってでも手に入れようともします。
宝物は内側にある
などとクライアントさんに言い放っってから改めて、

と自分の心に、木霊のように反響させています。
そしてそのあるモノの豊かさに気付けると、ただ素直に『愛』を実感出来て、
時に足元に佇んで大事な相手を守って、
たまにカワイイ顔してオッサンみたいなイビキかきながら寝て・・・^^;
また次の日の朝が来たらモリモリご飯食べて^ - ^
そんなシンプルなサイクルの中に、ジワッとした幸福感があるような気がする、
カラーセラピストの今日この頃デス^^P